対談 阿佐ヶ谷3349柴田修平とお客様
第3回 早川玉美さん
第3回のゲストは、早川玉美さん。
最初はカットの合間の会話から、歌手をされている方と認識していたんですが、お話を聞いているうちに、たくさんのお知り合い、様々なイベント、働かなくても入ってくる十分な収入……、この人は一体何者なんだろう?(笑)と興味を持ちました。
3349にお知り合いを異常なくらい紹介して下さって……。早川さんの御自宅(高層マンション最上階!)に招待してもらい、そこでもいろんな話を聞かせていただきました。その中で教えていただいた言葉が「※1 ネットワークビジネス」。聞いたことはあったけど、よく分からない世界。
こんなにパワフルで人脈豊か、かつ魅力的な早川さん。さらにその早川さんを成り立たせている「ネットワークビジネス」について、ぜひ『立入禁止』でお話ししていただけないか、と今回お願いしました。
そういったビジネスで成功している人はあまり本当の話をしてくれないので……。
タイトルも『立入禁止』なのでぜひお願いしたいな、と。

柴田修平
※2 [左] 鈴木くんは多忙につき、今回は写真のみです。
[中] 早川玉美(ハヤカワタマミ) 神奈川県横浜市出身
都内某音楽事務所にて歌手としての芸歴をスタート。米軍キャンプ、都内ライブハウスなどで精力的に音楽活動を行う。その後60年代グループ・サウンズの重鎮『パープル・シャドウズ』に加入。脱退後も、某有名テーマパークのディナーショー、全国イベントにて活躍中。29歳のときに本格的に始めたネットワークビジネスの成功者としての顔も持つ。
[右] 柴田修平(シバタシュウヘイ) 1986.6
原宿の某サロンにて下積み~スタイリストデビュー~トップスタイリストを経験。23歳の時、異例の店長に抜擢。その後、複数の店舗の運営管理を任され、赤字店舗を復活させる偉業を成し遂げる。2015年8月、『阿佐ヶ谷3349』代表に就任。カッコつけないカッコよさを現在模索中。知らないことを知らないと言える素直さを目標にし、『立入禁止(仮)』に参加。字が汚いがそんな自分は嫌いじゃない。真面目な優良社会不適合者。29歳。
■ 『3349』との出会い
柴田:ええと、何から話しましょうか……、今日はよろしくお願いします。
早川:なんでも聞いてください(笑)
柴:まずは『3349』との出会いからお願いします。
早:私、去年の5月に阿佐ヶ谷に引っ越してきたんで、ちょうど1年経つんです。阿佐ヶ谷には400件以上飲食店があると聞いて、初めての土地だから試しに夜な夜ないろんな店に行ってみたんです。だけどピンとくる店があまりなくて……。今通っている飲食店は2件くらいかな。美容院も同じで、いつも表参道のお店に行ってたんですよ。EXILEのヘアメイクをやっていた人にお願いしててね。
柴:ほおほお。
早:ところがある火曜日、その日1日空いていたので今日は自分のための日にしようと思ったんです。朝からネイルやって睫毛のエクステに行って全身マッサージしたあとかな、どうしても髪が切りたくなって。でも表参道の担当の人、火曜お休みだって思い出したの。で、夕方だったよね、たしか?
柴:そうです。そうです。
早:ただ、阿佐ヶ谷で美容院、チャレンジだなと思いながら、この裏通りを歩いたんですよ。
柴:あんまりこの通りって歩かないですよね?(笑)
早:でしょ? 実はそのときたまたま私の前を、髪、色抜いてる彼女が……、さっきもそこにいた……。
柴:ああ、うちの伊藤?
早:彼女が私の前を歩いてたの。いや、すれ違ったんだったかな。変わった髪の色してるなぁ、と
柴:伊藤、淡とか吐いてなかったですか?(笑)
早:(笑) 彼女が歩いてきた方を見たら美容院があって。で、「はじめてなんですけど、いいですか?」って声かけたんですよね。
柴:そうそう。たまたまその日、ぼく、空いてたんですわ。
早:そしたら髪切ってる途中に、さっきの伊藤さんが、店に入ってきて、あ、ここの人なんだって縁を感じて。
柴:それははじめて聞きました。
早:その日、自分のための日にするっていう目標を見事達成できたんですよ。
柴:おお。
早:私、縁というのをすごく大事に思っているので、これは何かあるなと。しかもそのあと表参道のいつもの美容院にお願いしようとしたら、スケジュールが合わなくて……。そこには縁がないんだと思って、もう行ってないんですよ。
柴:そうだったんですね
早:柴田さんに切ってもらったあと、みんなから「いいね」と言われて……。それに……、しょっちゅう会いますよね? この前もパールセンター街で……。
柴:会いましたね(笑)
早:雪駄で歩いている人がいると思ったら柴田さん(笑)
柴:確かに、確かに! しょっちゅう会いますね!
早:なんでだろうね!?
柴:やっぱり早川さんのおっしゃるところの縁ってやつですかね。
早:縁を大事に思って生きてます。
柴:いや本当に素晴らしいです。たくさん縁ある方を紹介してくださって……。
早:本当にまだまだいっぱいいるんですよ。
柴:感謝しかございません。
早:全然、強制しているとかではなくて、なんだろう、おすすめしているだけで。なんでも美味しいものとか人に紹介したくなっちゃうんです。
柴:口コミのプロ!
早:そうなんです。口コミのプロなんで(笑)
柴:それだ!口コミのプロ!それが後々のネットワークビジネスの話につながると!?
早:出会いはそんな感じです(笑)
柴:流された(笑)
■シンガーとして
柴:ジャズシンガーとお聞きして……、というか勝手に認識していたんですが……。
早:いえいえ、今度ジャズをやろうと思っていて、今までやってきたのは、ほぼ全ジャンル……。
柴:全ジャンル!?
早:いや演歌はやったことないか。はじまりは※3 カントリー&ウエスタンなんですよ。最初の事務所がカントリーの事務所で、メインは米軍キャンプで歌ってたんです。22歳のとき。横須賀、横田、厚木……。ウエスタンブーツ、シャツにハットかぶって歌ってましたね。
柴:米軍キャンプ!? かっこいい! 小さいころから歌手になりたかったんですか?
早:子供のときから歌手になりたかったんだけど、方法がわからなくて。中学生のときに※4 『スター誕生』っていう番組のオーディション受けようとしたら親に激怒されて却下。堀越学園に入ればチャンスがあるかもと思って親に相談したらそれも却下。しょうがないからまじめに勉強して受験したら進学校に受かっちゃったの。進学校だからみんな頭よくて、もちろんおちこぼれるわけですよ。高校にいかなくなり、不良になり、すごかったですよ。(笑)
柴:姐さん、って感じはそこで養われたんですね?(笑)
早:※5『横浜銀蝿』とかわかる? あんな感じの時代だから、ロングスカートはいて……。私はこのままこんな感じなのかな、と。
柴:かなりの不良……
早:うーん、勉強できる不良。ほら※6『ビリギャル』みたいな。
柴:ああ、なるほど。
早:高校3年生のときに急にスイッチ入っちゃって、先生に大学行きたいっていったら、絶対に無理だっていわれて。絶対、っていわれると燃えるじゃん?(笑)でも4年生はきついから短大にしようと思って5校受けたら、第1志望だけ受かったんですよ。
柴:それはすごい!
早:青山学院短期大学なんだけど、これもすごくて『傾向と対策』って本あるじゃない?直前に見ていた数学の問題が、そのまま出たんですよ!
柴:そのまま?
早:そう、数字まで全部そのまま。すごくない? 私、何か持ってるなって(笑)
柴:持ってますね(笑)
早:第1志望に受かったけど、やっぱり歌がうたいたくて。でもオーディション受ける勇気もなく……。青山学院って芸能人多くて、隣のクラスに※7 山口智子さんがいて、女優の。
柴:※7『ロンバケ』の?
早:そうそう、当時※8『ViVi』のモデルさんだったんですよ。他にも芸能人の子とか多くて。どうやったらあの人たちみたいに歌手や芸能人になれるんだろうって……。結局、行動できず、そのまま20歳になって商社に就職しました。ОLとかやっている場合じゃないんだけどなと思いながら2年働いて……。
柴:やっぱり歌手になりたかったんですねー。
早:そうそう。で、ここからが不思議なんだけど、あるとき当時つきあっていた彼氏に、「会社のボーリング大会があって人数足りないからきてくれる?」って誘われて。「でも俺はいけないんだよね」って。「はぁ?」ってなるでしょ?
柴:「はぁ?」ですね(笑)行ったんですか?
早:うん、乗り気じゃなかったんだけど、私あんまり断れない人だから(笑)とりあえず行って黙々とボーリングしたんです。あんまりやったことないからハンデがつくでしょ? それもあって、優勝しちゃって(笑)
柴:ははは、優勝(笑) 結構な規模だったんですか?
早:20~30人くらいかな。
柴:まあまあデカい(笑)
早:で、表彰式があるから2次会にもこいってなって。「知らない人たちと飲むのもなぁ」と思ったけど、断れないでしょ? 1位じゃん?(笑)しょうがないから、行って歌うたってたんですよ。場所がお姉さんたちのいるクラブみたいな場所だったから、カラオケがあって。そしたら、隣に座っていた2位のおじさんが、実は自分も人数合わせで呼ばれただけで、この会社の人じゃないって(笑)。で、突然「君、歌うまいね」ときたんです。
柴:僕がいうのも失礼ですけど、歌のクオリティ、ハンパないです! 一度呼んでいただいたイベント、素晴らしかったです!
早:その人が「僕と一緒に歌わない?」って名刺くれたんですよ。
柴:ほうほう。
早:普通の証券会社かなんかだったんですけど、よく話を聞くと、その人の友達が事務所をやっていて、そこで月に1回銀座でカントリーを歌っているから、一緒にデュエットしないか、と。あやしいと思いながら飲みつつ話をしていたんですけど、盛り上がって飲みすぎて、終電がなくなっちゃって……。当時横浜の実家に住んでいたんです。どうしようと思ってたら、そのおじさまが「どこに住んでるの?」っていうから「横浜です」って答えたら、「俺もだよ!」と。ご近所さんだったの(笑)
柴:(笑)偶然が重なりますねー。
早:それでタクシー、一緒に乗っていくことになって、ラッキーって(笑)。それが金曜日で、土日真剣に考えて。おじさま親切だったけど、よくある話じゃないの……? と。
柴:あやしいな、って……
早:そうそう、いってみたらアダルトビデオだったとかあるでしょ? 
柴:そう疑ってしまうのが普通ですよね。
早:でも送ってもらったお礼もしなきゃいけないと思って、月曜の朝一番に電話したんですよ、その名刺の会社に。「ありがとうございましった」って。
柴:はいはい。
早:そしたらその人が、今日6時に東京駅のカフェにこい、と。
柴:怖いですね。
早:そこにいって、おじさまとお茶したあとに連れていかれたのが、私が前に所属していた事務所だったの。社長がいて、その場で歌えって言われて……。2、3曲歌ったかな。ピアノで。
柴:え!? それは何人かいるオーディションみたいなものだったんですか?
早:いや、私一人で……。そのあと何人かでご飯にいって、じゃあ、会社の帰りにレッスンにきて、と言われて。それが5月くらいで、7月からもう仕事してましたね。米軍キャンプの開放日ってあるじゃないですか? それが7月4日で私の初ステージ。
柴:アメリカ人ばっかり?
早:そうそう。だからあのボーリング大会にいってなかったら、歌手になってなかった。
柴:ОLの仕事はどうしたんですか?
早:1年両方やったんです。
柴:兼業? 会社に許可は?
早:会社にも親にも内緒で。親は遊んでると思ってたんじゃないかな。東京駅の会社でОLして、そのあと銀座、横須賀と歌って帰ると、もう深夜3時過ぎになるでしょ? で6時には起きてОLしてって……。
柴:すごいな……。
早:ОLと同じくらい稼げるようになってから、会社に辞表出して、横浜の実家も出ました。
柴:それがおいくつのときですか?
早:22歳。
柴:波乱の22歳ですね。
早:当時は終身雇用が当然の時代で、女性が辞めるのは結婚退職以外にないとみんな思ってたのね。同僚はみんな商社マン見つけて結婚退職して、豊かな暮らしをしたいと思って就職している人ばかりだったから、反対されたし、親には泣かれたし、彼氏にも、おまえが人前で歌えるわけないだろって止められて。給料もよくて、いい会社だったし。
柴:今もあんまり変わらないですけど、当時はもっと反対されたでしょうね。
早:でも、初ステージにみんな呼んだのね。そしたら母親は「あなたのあんな幸せそうな顔、生まれてはじめて見た」だって。
柴:ええ、話しや。
早:いやいや(笑)同僚は「やっぱりそっちのほうがいいって思ってたよ」と(笑)。みんな適当すぎるでしょ? あんなに反対してたのに。彼氏はどう思ったのか、いなくなっちゃった(笑)それで22歳のときに学んだのが、人の意見に左右されたらダメだなって。
柴:すごい22歳だな。僕なんかもっとチャランポランでしたよ(笑)
早:それから29歳まで、ずっと歌ってました。テレビ見たことないですよ、その間。時代の流行りが※9 オールディーズに移行して、私もそれを歌って……、1か月に33本ステージがあって、家に帰ってくるのが朝6時。それでまた朝8時半に遊園地のステージ入り。昼のイベントこなして、夜は新宿のライブハウス。家に帰ってシャワーだけ浴びて、また出る、みたいな。だからその7年間は時が止まってる。流行りも知らなかったし、他の人のコンサートにもいけないし、冠婚葬祭も出られなくて。
柴:浦島太郎状態。
早:そうそう。異常なエネルギーだったなぁ、体力っていうか、エネルギーがありあまってて(笑)家に帰っても、当時住んでた駒場東大前のアパートの近くにあったいい感じのバーで、一人で毎晩飲んでましたね。辛かったけど楽しかったなぁ。
柴:そのときは歌だけで生計を立てていたんですか?
早:他のことやる時間ないからね(笑)29歳まではそんな感じで歌ばかりでしたね。
柴:なるほど。29歳からは第2章。
早:そうね、第2章(笑)
■転機~ネットワークビジネスで年収2000万~
早:私、事務所に入って決めたことがあって、当時バンドが2つしかないのにスケジュールがガラガラだったの。それを3年でいっぱいにしてやろうって決めたんですよ。結果バンドが10個になって月に30本の仕事が入るような事務所になったんです。
柴:具体的に早川さんは何を……。
早:ただ心でそう思っただけなんですけど(笑)
柴:思うことは大事ですよね、思えば叶う(笑)
早:目標も達成して……、これからどうしようって迷ってるときに、音楽の世界で成功している友達に相談したら「タマちゃんは歌で成功したいの? 歌がうたいたいの? どっち?」って聞かれて。「もし成功したいなら、チョイスが違うよ」って。そのときハッとしたんです。私は歌がうたいたいだけだ、と。私のいたバンドはいわゆる営業バンドで、メジャーではないわけ。
柴:そうですね。
早:「売れたいんだったら、売れる方向の努力しないと無理だよ」って。その子は家が会社経営しているから、ノウハウを知っていたのね。「音楽なんてどうやったら売れるか理屈があるんだよ、何分間に1回ラジオで流せば、売れるんだよ」と。それを聞いて、私は歌をうたいだけだなってはっきり気付かされたんです。で、29歳のときネットワークビジネスの話が入ってきて……。
柴:ほおほお。
早:やるつもりはなかったんですけど、途中から面白くなってきて。
柴:そこから本格的にやりはじめた?
早:面白がって製品を使ってただけっていう感じかな。やっぱり音楽がメインだと思ってかたら。それで事務所の社長に面と向かって聞いたの「社長は今後、この事務所をどうしていきたいんですか?」って。そしたら「俺が歌えればいいんだよ」って言われたの! そのときガラガラガラって何かが崩れたんですよ。
柴:一生懸命尽くしてきたのに、それはないだろ、と。
早:ここにいたらダメかもって。ただ私はそこしか知らないから、食べられなくなったらどうしようってときに……。ここからまた面白いんですけど(笑)
柴:ネタしかないですね(笑)
早:私、本書けると思う(笑)
柴:(笑)
早:妊娠した友達が、代わりにバンドに入ってくれないか、って。そのバンドが昔売れてたバンドで……。そういうバンドはディナーショーだけで食べていけるのね。知らないと思うけど、昔※10 グループ・サウンズっていうのがあって。
柴:お!僕でも知ってます。
早:1曲だけ『小さなスナック』というのが売れたバンドで※11『パープル・シャドウズ』ってあるんだけど。
柴:曲のタイトルいいですね。
早:GSだから男性だけなんだけど、女性ボーカルを一人入れてディナーショー回りをしているバンドがあったんですよ。そこに代わりに入ってくれないかっていうオファーがきて。給料制だけど月に1本でいいって(笑)
柴:ええと、1本で月給もらえるってことですか?
早:そう。マジで?ってなるでしょ?
柴:額はどれくらいだったんですか?
早:それが18万だったんですけど。
柴:1本で18万? 僕もやれるならやりたい!
早:(笑)それまでの事務所で月に30本やって、30万とちょっと。しかも経費は自分持ち。衣装代とか交通費とか。じゃあそっちがいいやって(笑)それに、ネットワークビジネスの収入が入りはじめてて、15万くらいかな。
柴:製品を使ってるだけで?
早:うーん、ちょっと「いいよ」ってすすめているだけで……。
柴:でた! 口コミの達人(笑)
早:そんなに本気じゃなかったんですけど。月1本のライブとネットワークビジネスで30万、今まで休みなくやってきた給料と同じじゃん!って思って。
柴:それは確かにそう思いますよね。
早:辞めるといったら、前の事務所の社長にはキレられましたけど……。これも縁だな、と。しかも当時の彼氏の親の友達が、幡ヶ谷に売りに出してるマンションがあるから、売れるまで住んでていいよっていう申し出もちょうどきて。管理費の2万8千円だけでいいからって。仕事辞める不安もあったときだから、すごいタイミング、これはいけってことだ、と思って、事務所も辞めて引っ越しました。
柴:なんで都合よくそういう話が来るんですかね?
早:わかんない(笑)しかも引っ越したら、たまたま『パープル・シャドウズ』のリーダーがマンションの上の階に住んでたの!
柴:えー!
早:すごくない? 移動はリーダーの車だったから、交通費も一切かからなくて(笑)
柴:「縁」ですか?
早:ありえないでしょ、普通(笑)
柴:さすがに用意されていたとしか……。
早:でしょ? そしていろんなところで歌わせてもらって、グループ・サウンズの大きなイベントで『タイガース』とかとも一緒に歌いました。
柴:そのときネットワークビジネスは?
早:1月にライブが1本だけだったんで、ここぞとばかりにちゃんと集中してやったんです。
柴:がっつりと。
早:結構しっかりやりました。
柴:ネットワークビジネスについて簡単に説明してもらえませんか?
早:簡単に説明……。まあ、世の中的には悪いイメージもあるんだけど……。私の場合、29歳のときに正確な情報を聞いたっていうのと、転機というのかな? 社長とのこととか……。でも、勘? これを今やっておいた方がいいっていうのか……、降りてきたっていうか。(笑)
柴:降りてきた? 啓示、縁?
早:私ってそういう人なんだと思うんだよね……。奇跡を繋いでいるっていうか(笑)
柴:ネットワークビジネスの出会いは? この間もたくさん聞かせてもらいましたが、改めて。
早:それも、たまたま……。なんて話したらいいんだろう。20代はお金が欲しいなんて思ってなかったんですけど、29歳のときに60歳のことを考えたんです。年金をもらえない世代じゃないですか? ネットワークビジネスは印税タイプの収入が入ると聞いて。老後に月に30万入ったらいいな、って。
柴:毎晩飲み明かすロックな生活の中で、29歳にしてしっかりした面もあったんですね。
早:29歳っていろいろ考えるのよ。結婚すると思ってなかったし。彼氏はバンドマンだったからね。バンドマンと結婚したらダメってわかります? 稼がないでしょ(笑) 月に1回のバンド活動も増えてきて、ネットワークビジネスも収入が増えてきて……、29歳のときに。
柴:ほおほお。
早:で、そのバンドも1年で辞めるんですけど(笑)
柴:え? なぜですか?
早:ネットワークビジネスの活動の中で、※12 クリスマスシーズンにみんなでハワイにいこうって企画があったんですね。
柴:ビジネスの仲間で?
早:そう。でもバンドの仕事って穴あけられないのね。そのときはもうネットワークビジネスを軸にしようと思いはじめていて……。「辞めさせてください」って事務所に言ったんです。そしたらトラ(代役)立ててもいいよってなったのね。でもそれは申し訳ないっていうか……。
柴:それで、どうしたんですか?
早:ちょうど産休していた元々のボーカルが戻ってきてくれて。辞めました。
柴:それからはネットワークビジネスメインで?
早:そうですね。2年くらい集中して……。
柴:集中って具体的に何をするんですか?
早:それは説明が難しいよぉ。目標を決めてそれに到達するために動くっていうか、結果にこだわるというか……。
柴:「ライザップ」ですね(笑)
早:あ、そういえばその間に結婚もしました(笑)
柴:29歳はいろいろあったんですね。
早:おかしいでしょ?(笑)
柴:その後はどんな感じですか?
早:32歳でネットワークビジネスではある目標を達成してだいぶ収入が安定して……。歌の方は、今度は某有名テーマパーク(笑)ポリネシアンレストランっていうところでハワイアンを歌ってました。2年間かな。ミッ○ーと手を繋いで。その収入はほぼお小遣いだから毎晩飲んでました(笑)
柴:29歳以降は収入上がる一方だったんですか?
早:まあ、いろいろあったけどね。あ、そうだ笹塚に引っ越しました。住んでたマンションが売れることになったから。笹塚に4年くらいいたかな。そのときはネットワークビジネスの収入が結構あって、某有名テーマパークのほうは……、あ、こんなこと言っていいのかな。
柴:どんどん言ってください。立入禁止ですから。
早:夢が壊れるかなぁ……、そこで働いてる人って給料がものすごく安いんですよ。交通費かけないためにみんな浦安に住んでてて。でもみんなそこが大好きだから一生懸命で。
柴:早川さんは? 好きだったんですか?
早:うーん、あまり……(笑)
柴:やっぱり(笑)
早:でも勉強になりましたよ。プチ芸能界じゃないけど、隅々まで人を楽しませるために徹底してるっていうか、衣装なんかも私の衣装だけのためにハワイから生地を取り寄せてオーダーメイドで……。300万くらいかかってるんじゃないかな。でもそれワンシーズンで捨ててまた作り変えるんですよ。去年のでいいじゃんって私なんか思うんですけど(笑)
柴:そういう感じで、いろいろ渡り歩いて歌をうたって。
早:でもあまり自分からこうしたってことないんですよね。そこを辞めたのも母親が脳梗塞で倒れて……。茅ケ崎で。
柴:茅ケ崎にお住まいだったんですか? お母さまは?
早:いいえ、社交ダンスの大会か何かで茅ケ崎にいっていて、そのまま茅ケ崎の病院に入院したんです。そこでまた人生考えて……。これは親孝行しろってことなのかなって。もっとネットワークビジネスをやって収入増やしておけばよかった、と。それから37歳までがんばりました。
柴:そこで年収2000万の基盤を作る?
早:そうだね。37歳で。
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