対談 阿佐ヶ谷3349柴田修平とお客様
第2回 加藤寛之さん
第2回のゲストは加藤寛之さん。
どんなお客様をお迎えするときも、緊張するものですが、加藤さんがいらっしゃるときは、本当に身が引き締まります。なぜなら、僕の思う「かっこいい」を体現しているから。
じゃあ、そのかっこよさってなんだろう、と言葉にすればするほど、兄貴の実像は遠ざかる。
大抵のことは知っているから?
どこか破滅的なのに優しいから?
夜出会うと、いつも両手に花だから?
煙草を吸う手つきがエロいから?
加藤さんがさりげない言葉の端に見せる熱さ、そして冷たさ……、そこにはある種の掟、あるいは矜持のようなものが垣間見えます。それは真にやりたいことをやって食っている人の、幸福と、冷徹さからくるものなのかもしれません。今回はそこのところを捉えようと真正面から聞いてみました。
兄貴、初めていらっしゃったときに、すっごく太ってたってことは内緒にしますから、その分いろいろお聞かせください。

阿佐ヶ谷3349代表
柴田修平
[左] 鈴木孝輔(スズキコウスケ) 1986.7
柴田曰く、文学的ハイパーメディアクリエイター
映画制作、CM制作、執筆活動、ライティング業、俳優業など、体育会系以外の文化的な殆どをマルチにこなすインテリジゴロ。
また、『阿佐ヶ谷3349』の様々なディレクションにも携わり、多忙な毎日を送る。一定量の酒量を越えるとズボンを脱ぎだすが、前科は無し。笑顔がかわいいプリンシパルな原理主義者。29歳。
[中] 加藤寛之(カトウヒロユキ) グラフィックデザイナー、アートディレクター 1971年7月24日生まれ。新潟県出身。 高校卒業と同時に上京。日本デザイン専門学校を卒業後、都内のデザイン事務所勤務を経て、フリーランスとして独立。以後、主に書籍のディレクション、装丁などを手掛ける。特撮ムックからアイドル写真集、成人誌に至るまで関わった仕事のジャンルは多岐に渡る。 関わった作品 『仮面ライダードライブ公式完全読本 MAXIMUM IGNITION』(ホビージャパン) 『ぐでたまのまいにち。』 『Walt Disney 夢をつかむ言葉』(角川書店) 『東映ヒーロー仮面俳優列伝』(辰巳出版)など
[右] 柴田修平(シバタシュウヘイ) 1986.6
原宿の某サロンにて下積み~スタイリストデビュー~トップスタイリストを経験。23歳の時、異例の店長に抜擢。その後、複数の店舗の運営管理を任され、赤字店舗を復活させる偉業を成し遂げる。2015年8月、『阿佐ヶ谷3349』代表に就任。カッコつけないカッコよさを現在模索中。知らないことを知らないと言える素直さを目標にし、『立入禁止(仮)』に参加。字が汚いがそんな自分は嫌いじゃない。真面目な優良社会不適合者。29歳。
■ グラフィックデザイナーのお仕事
柴田:加藤さんって仕事は何をやってるんですか。
加藤:グラフィックデザイナーをしてます。
鈴木:まえにお話を聞いたときは、雑誌の……。
加:そう。主に本ですね。書籍のデザインをやってます。ムック本とか、いわゆる雑誌ですね。内容的には、ざっくり言うとサブカル系です。
鈴:フリーでやられてるんですか?
加:そうですね。
鈴:最初はどこかの会社に所属して。
加:ええ、もちろん。デザイン会社ですね。3年くらいかなぁ……。そのあとずっとフリーでやっています。
柴:高校出てすぐに?
加:いいえ、専門学校行って、そこからですね。
鈴:その辺疎くて恐縮なんですけども、グラフィックデザインってどこから仕事がはじまるんですか。
加:難しいですね……。結局、グラフィックデザイナーの仕事って誰も知らないんですよね。何をやってるか、っていう。
鈴:うんうん。
加:だから、あの、※1佐野(研二郎)さんの件があったじゃないですか。
鈴:はいはいはい。
加:あれで、「グラフィックデザイナー」という職業が注目されたんだけど、実際に何やってるかは、みんなよく知らないという(笑)
鈴:ええ(笑)
加:僕の仕事で言うと「写真」があって、今回のインタビューとかもそうだけど「文字」があって、そういうものを体裁よく並べていく、ということが主です。 柴・
鈴:へぇ~。
加:そこに至るまでの過程で、例えば写真撮影の現場に顔を出して、ああだこうだ言う場合もあるし、「こういうもの作りたいんだけど」って内容に関して相談してくれる場合もあるし。
鈴:それって中身もってことですか、本の。
加:そうですね。丸々一冊ってことも多いですね。
鈴:ああ、そうなんですね。
加:だから、暇なときと忙しいときの差がハッキリしてますね。「今月は何もやらなかったなあ~」って月もありますし。
鈴:いわゆる表紙のデザインというのは分かり易いんですけど、中身もやられるんですね。
加:うん、そうですね。でも、おおむね地味な仕事だと思います。佐野さんとか※2佐藤可士和さんみたいな、ああいうスターデザイナーっていうのはほんの一握りで。
鈴:佐藤可士和さんってそれこそプロダクトデザインもやられてるじゃないですか。
加:そうですね。最初はグラフィックデザインの人だったけど、現在はプロジェクトのコンセプトから関わっている。ひとつの理想ですね。
鈴:なるほど。
加:僕は本を作る仕事が楽しい。彼らみたいに大きな仕事じゃないですけど(笑)
柴:いやいやいや(笑)
加:コツコツと(笑)
柴:基本的には個人でやってるんですか? 一人で。
加:そうですね。だから結構色々な職種の大人がいる現場に行くんですけど、すげぇ緊張します。まず、僕を(どこのだれなのか)誰も紹介してくれないんですよ。現場で。
柴:え!
加:各々の作業がありますからね。カメラマンは撮影の準備してたり、なんかよく分からない背広の人は名刺交換してたりするわけですよ。
鈴:現場はもう動いてると。
加:そうなんです。みんながあくせくしてる中で、僕ひとりポツーンとしちゃって(笑)昼飯のときにやっと紹介されるみたいな。
柴:たまにヘアメイクで雑誌に関わる時は、僕もそんな感じですね。
鈴:そうか。そういう現場にはヘアメイクさんも来るってことですね。
加:いますいます。
柴:雑誌といっても広いから、色々な人がいますよね。
加:ヘアメイクさんは、仕事してたら何やる人か一目瞭然じゃないですか。
柴:まぁ、そうっすよね。加藤さんの場合は……。
加:「あいつ誰だ?」ってなるでしょうね(笑)
柴:そういうときも今日みたいにロックな感じの格好で行くんですか。
加:ええ。本当はもう少しちゃんとするべきだとは思うけど(笑)とくに変えないですね。
柴:そうなんですか。
鈴:そうすると余計に「誰だ?」っていう(笑)
加:現場では、パッと見何もしてないから。「何やってるんだあいつ?」って(笑)。
柴:アートディレクターってやつですね。
加:そう、アートディレクターですね(ドヤ顔)。
柴:割とこう「現場を指揮」する立場ですよね。
加:そういうところはあります。ただ、今は作業の大部分がデジタルになったから、直にやりとりする事も少なくなりました。ほぼ自宅作業です。
鈴:DTPってことですよね。
加:まさにそういうことです。
柴:DTPって何?
鈴:デスクトップ・パブリッシング。
加:そうです。
鈴:イラストレーターやフォトショップ、インデザインとかを使って、デジタルでデザイン業務とか編集業務とかすることですよね。
加:ですね。でも、昔って手作業だったんですよ。紙を切ったり貼ったりする仕事が。
柴:そのデジタル版。
加:そうなんです。デジタルになって、作業内容は劇的に変わりました。俺らの世代がたぶん最後でしょう、そういう切った貼ったのデザイナーは。
鈴:実際にやられてたんですね。
加:やってました。昔は仕事終わりに遊び行ったりするじゃないですか。そうすると腕の辺りに文字が貼りついてたり。
鈴:へぇ~!
鈴:それは割と「あるある」なんすか。
加:「あるある」です。
柴:すごいなぁ。
加:昔のデザイナー「あるある」です。
鈴:業界っぽいですね。
加:まあついてること自体は別にいいんだけど、「あれ?ってことは(レイアウト台紙から文字が)抜けてんじゃねーかな?」みたいな(笑)
鈴:あぁ!そこから取れちゃって。
加:そうそう。「そのまま印刷されたらどうしよう」みたいな。まぁどうでもいい話ですが(笑)
柴:今は絶対ないですよね。そういうの。
加:ないっすね。
鈴:(デジタルに)変わって楽になったところってあります?
加:楽になった部分と逆に、負担が増えた部分があって。DTP以前はデザインしたものが印刷されるまで色々な工程があったんだけど、デジタルに変わったことによって無くなった工程、つまり業種があるんですよ。
鈴:はいはい。
加:で、その部分までも請け負うことになる。「デザイナーさん、やって」って。
鈴:それまで専門の職人さんが担っていた部分を?
加:そうそう。デザイナーが作ったものを基に「版下」という印刷用の版を作る行程があったんです。版下屋さん。 柴・
鈴:ほお。
加:でも、デザイナーが作ったものがバン!って印刷できるようになっちゃったから、昔ながらの版下屋さんは少なくなっていると思います。
鈴:なるほど。
加:版下屋さんは文字直しとか色々な細かいこともやってくれてたんだけど、その行程がなくなって、そういうこともこちらでやらざるを得なくなった。
柴:全部自分で。
鈴:文字直しって誤字・脱字(の修正)ですよね?
加:そうですね。あと逆に川上(上流行程)の方でいうと、あの、カメラマンさんが撮った写真あるじゃないですか。 柴・
鈴:はいはい。
加:それを直すのも今はデザイナーが結構やるんですよ。レタッチですよね。肌をきれいにしたり。
鈴:なっちゃうんですね。
加:できちゃうんですよ。フォトショップで。
柴:最終的に、全体のチェックも加藤さんがやるんですか?
加:そうですね、もちろん編集スタッフやクライアントもそれぞれチェックするので、それをとりまとめて直すところまで。
鈴:抜けちゃうときありますもんね。やってて。
柴:適切かわかんないですけど、加藤さんのチェックする目ってすごいと思うんですよね。というのは、趣旨変わるかもしれないけど、映画とかドラマとかの話になったときに、その、灰汁の強い俳優さんと、そうでもない人、例えばアイドルなんかが主演になると悲しいよねっていう話を加藤さんとしたときに、「あいつは歯がいいよね」とか「歯が汚いほうがこの役にあってるよね」とか「歯」のことを言う。
加:あ、ワタシの話?
柴:そう。歯のことを言ってて。歯まで見てるんだ、って。
加:へぇ~。
柴:「へぇ~」って(笑)アナタの話ですよ。でも、それって結構重要で。汚い役してるのに歯がきれいだとかウソじゃん。ほんとにその時代の役かよ、って。
鈴:はいはい。
柴:そういうことは「チェック眼」みたいなのがないと出来ないし、その辺が話していておもしろいなあと。
■滅びゆく紙の書物と心中する
鈴:なんでデザインの仕事に就かれたんですか。
加:そういう仕事があるって知ったのが中学か高校くらいのときなんですけど「こういう職業楽しそうだな」と。当時から本、とくに雑誌がすごく好きで。こういうのどうやって作るのかなって思ってた。そこからグラフィックデザインとか装丁って仕事があると知って、すごく憧れたんです。今はそういう仕事ができて楽しいですね。
鈴:具体的にはどんな雑誌に影響を受けたんですか?
加:そうですね……。中学のときに※3『宝島』って雑誌がありまして。この本との出会いが、俺が阿佐ヶ谷に住んでいる理由とも深く関わっていて。
柴:ほお。
加:『宝島』って全国紙じゃないですか。
鈴:はいはい。
加:それなのに高円寺のネタが多かったんですよ。例えば高円寺のライブハウスの告知だったり、高円寺にこういう服屋・古着屋があって、とか。「高円寺」ってワードがすごく頭に残ったんですよね。
鈴:はい。
加:「東京出て来たら絶対高円寺に住みたい」と思って。東京に出てきて高円寺にちょくちょく遊びに行くようになって、阿佐ヶ谷にもよく飲みに来るようになった。それで阿佐ヶ谷のことが好きになって。今も高円寺と阿佐ヶ谷でよく遊びます。
鈴:へえ~。
加:そういう意味でいうと、ほぼほぼ夢叶ってますね。たいした夢じゃないけど(笑)
柴:それだ、かっこいい理由は。
鈴:ちなみに地元はどちらなんですか。
加:新潟です。
鈴:じゃあ、専門のときにこっちに。
加:そう、18のときに。
柴:ちなみに『宝島』は、加藤さん世代のお客様に触れるときに、こう、例えば2階(の本棚)に来て、取るチョイスって「ああ、それ取るんだ」みたいな人は、「『宝島』は良かった」ってすごく言いますね。
鈴:はいはい。
柴:悔しいのは俺が全然世代じゃないこと。新しくなった『宝島』は見たことあるけど……。
加:『宝島』はある時期からもうエロ本みたいになって、まったく変わったので。
柴:※4『BURST』とはまたちょっと違うんですか。
加:『BURST』もスタイリッシュでかっこよかったですよね。ただ『宝島』はもっと敷居が低くて、ゴチャゴチャしてるというか。ほら、※5「VOW」ってあったじゃん。面白画像の。
柴:ありましたね。
加:今ってネットに面白画像が上がってたりするけど、あれの元というか。パロディとかにもかなり影響を受けました。
鈴:へぇ~。
加:なんかこう、「大の大人がフザケてる」っていうのがよかったよね。アカデミックじゃなくて。
鈴:最近雑誌売れないとか言うじゃないですか。どう感じますか?
加:感じるというか、本当にやばいとしか思ってないですね。自分の食い扶持に直結するから。
鈴:結構(デザイナーが)書籍からWebに移行してるって聞きますけど。
加:俺も実際言われますよ。「Webでやるんだったらもっと仕事回せるよ」って。でも、抵抗感じゃないですけど、俺が生きてる間はもう紙でいいや、みたいなところがちょっとあって。滅びゆくメディアと心中しようかなと。
柴:今の小見出し決定(笑) 加・
鈴:(笑)
鈴:僕も紙の本が好きなので。モノとして愛せるじゃないですか。
加:そうですね。
鈴:情報だけ抜き出して端末で見られるっていうのは便利だけど、スッと手に取ったり、誰かに「これいいよ」って渡すことができる。そこが一番違うかなと。モノと情報の間みたいなところがあるじゃないですか、本って。そこが一番いいし、なくならないんじゃないかと思いますけどね。
加:そうですね。実際、まだ紙の方がメディアとして優れているところがあるんですよね、電子出版と比べて。単純にパッと開けるとか、それこそ貸し借りも容易だし。モビリティというんですかね、そういうのはまだ優れてますね。タブレットとか端末みたいなものがもっと進んでいけば、いずれは追い越されるとは思うんですけど。「紙ってうざいよね」みたいになると思うんです。
柴:僕らは「カミ」って、こっちの(「髪」の)方ですけど……。
加:お、綺麗な流れですね。
柴:いや、そんなに続かないです(笑)僕がこの業界入ったころから予約表ってものがあるんですよね。これ、サロンワークでは非常に重要で。例えば「ここで加藤さんが来るからここで誰がついてこういうカラー塗って、その間柴田さんはここでカットして……。」とかって、その予約表が命になるんです。それが今はデジタルなんですよ。予約表が。ついこの一年くらいで。僕らの業界って紙を使うのが予約表くらいだったんです。あと日報も全部デジタルになってきてる。変わったなあって実感はあります。
■3349との出会い
加:ところで、そろそろこのお店との係わり合いみたいな話もしといたほうがいいんじゃない?そういうインタビューでしょ?(笑)
柴:お気遣いありがとうございます(笑)
鈴:なんでここ(3349)に通うようになったんですか。
加:きっかけは以前通ってたところの人が亡くなったんですよ。そこは1000円カットだったんですけど、そこのおっさんがなかなか面白いパンクおやじで。1000円カットらしからぬクレイジーなカットが得意なおっさん。
鈴:そういうお店もあるんですね。
加:頼りにしていたから、亡くなったとき「さて、これからどうしよう?」ってなった。それで、以前から気になっていたこの店に。
鈴:なるほど。
加:「この店はなんか匂うな」と(笑)。で、入ってきた感じです。そこがきっかけですね。
鈴:そのときは阿佐ヶ谷に住んでたんですか。
加:うん。
柴:今は某居酒屋の上ですよね。
加:そう。
鈴:男子があこがれる住処ですね。
加:そうですか?
柴:※6『探偵物語』みたいな。
加:そう……ですかね?(笑)僕は阿佐ヶ谷が好きで、かれこれ20年以上住んでます。『探偵物語』の※7工藤ちゃんじゃないですけど、界隈の飲み屋さんとも仲よくさせてもらって。しかもそこで飲むだけでは終わらなくて、例えば柴田さんにはこういう形で呼んでもらったりとか。こういうのって本来の業務とは関係ないじゃないですか。客と美容師の間柄とは。
鈴:はい。
加:飲み屋さんでも「一緒にバンドやろう」とか「DJやりなよ」とか。ほんと飲み友みたいな感じになってる。基本寂しがり屋なんで、すごい依存してますね。
鈴:僕もこの辺なんすけど、阿佐ヶ谷って「街」感があるじゃないですか。
加:そうですね。
鈴:これ、なんなんだろうと思って。
加:なんなんでしょうね?もう感覚ですね。高円寺から流れてきて阿佐ヶ谷にたどり着いたときに「あ、もう絶対ここがいいな!」って、一発で気に入って。
鈴:高円寺と阿佐ヶ谷って違いますか?
加:違いますね。分かり易いくくりで言うと阿佐ヶ谷のほうが「おっさん」っぽい(笑)それは酒っていうものがかなり大きくて。高円寺は「バンド・古着」ってイメージが強いけど、阿佐ヶ谷はズバリ「酒」じゃないですか。そこが好きですね。
柴:飲み屋さん祭りとかもありますしね。
加:自分は実家が飲み屋なんですよ。
柴:そうだったんですね。
加:母親はスナックのママをやってて、祖母は町の中華屋みたいな店をやってたんですけど、そこがほぼ飲み屋と化していて。毎日、昼間から酔っ払いだらけなんですよ。俺はいつもそこで飯食ったり、宿題やってたりしてたんですけど(笑)そんな環境で育ったからか、阿佐ヶ谷ってすごく落ち着くんですよね。ガキのころから酔客がぐちゃ~ってなってる中にいたから。
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