対談 阿佐ヶ谷3349柴田修平とお客様
第0回 「立入禁止(仮)」という場所
この世界には「入ってはいけない部屋」がたくさんあります。それは法で禁止されているとか、宗教的にタブーとか、倫理的に間違ってるとか、そんな大げさなものではなく、日常の小さな瞬間にたくさんあります。ここまで言ってはマズイな……、これは聞かない方がいいな……、とか。

インターネットが作り出した情報のグローバル化は、僕らをいとも簡単に「入ってはならない部屋」へと連れて行ってくれます。ネットでも十分、質の高い大量の情報が、手に入るし、楽しめる。僕自身もたっぷり楽しんでいます。いい時代です。

でも、ずっと感じていたんです。
もっと直に触れて、手応えが欲しい、実感したい、と。

サロンワークは現場です。僕は経営者ですが、現場を第一に考えるように心掛けています。
現場に立てない時間はスタッフの話や日報連絡から想像力を働かせ、可能な限り自分の経験を基に現場の目線を汲みつつ、日々、課題を解決できるよう努めています。

しかし残念ながら、「その場にいないとわからないこと」というのがあります。

どんなに想像力を駆使しても、わからないものはわからない。

僕の課題の答えはネットには書かれていません。ヒントはありますが、考え抜き、決断し、行動するのはやはり僕です。

そういえば、新人時代の先輩に、「学び」とは教わることじゃなく、気づくことだと言われたことがあります。

僕自身、本当に本当に知りたいことって、実際にその場で勇気を出して飛び込み、はじめて気がついたり、発見したりできる。そしてそのときこそ「学んだ」と本当に深く実感します。

頭ではわかってはいるものの、サロンでのお客様との会話において「開けてはならないドア」を自ら築いてしまうような場面がある。そして表面的な言葉で逃げたり、うまく立ち回ったり……。

でも、もっと深く、もっと奥まで、もっと楽しく、ときにはもっと悲しく、たとえ傷ついたとしても、その「開けてはならないドア」をぶっ壊すべきだと思うし、僕はもっと知りたいんだ!!と強く思うのです。その先にあるのが本当の「入ってはいけない部屋」なんじゃないか、と。

そういう意味ではこの『立入禁止』という企画は、僕の究極のマスターベーションなのかもしれません。これは本能というべきでしょうか。でもやることに決めました。学びながらのマスターベーション。言うなれば、ラーニングオナニーです。なんでもありです。どんどん扉を蹴破ります。見たい人だけ見ればいい。それが『立入禁止』です。

『立入禁止』をやることに大きな価値を求めはしませんが、僕らが胸のうちで自ら築いてしまっている「立入禁止」の立て札が、ぶっ壊れるその日に、この企画の価値が生まれるのかもしれません。

この場所は、僕の考える「永遠の反抗期」の大切な核の一つです。

それでは楽しんで。

阿佐ヶ谷3349 代表
柴田 修平
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